厚生労働省が、AYA世代のがん患者への支援制度を周知するため、映画『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』とタイアップしたポスターを制作したところ、当事者らから「配慮を欠いている」と批判が相次いだ。映画はステージIVの大腸がんと診断され、24歳で亡くなった人物の実話をもとにした作品である。厚労省は映画を通じて、治療や仕事、生活を支える制度を知ってもらう狙いだったが、「ママがもうこの世界にいなくても」というタイトルを大きく掲げたポスターを、がん患者が通う病院などに掲示しようとしたことが問題視された。

今回の件で批判が殺到したのは、「何を伝えるか」以上に「誰が、どこで見るのか」という視点が抜け落ちていたからだろう。一般の映画広告として見れば、「ママがもうこの世界にいなくても」というタイトルは作品のテーマを端的に表す。しかし、現在まさに治療を受けながら生きようとしている患者が通う病院では、その同じ言葉が不安を強く想起させる可能性がある。映画の宣伝として成立する表現と、患者支援の広報として適切な表現は必ずしも一致しない。

厚労省自身も取材に対し、「多様な受け止め方への配慮」が不足していたと認め、配布済みのポスターについて掲出を取りやめるよう病院側に依頼しているという。結果論ではあるが、企画段階でAYA世代の患者や家族、医療関係者などに実際のポスターを見せ、その受け止め方を確認していれば、防げた可能性は高い。

映画は作品全体で生きることの意味を強く伝えられる。一方、行政による患者支援では、同じ表現でも置かれる文脈によって意味が大きく変わる。今回の騒動は、公共広報では「善意の目的」や「作品の素晴らしさ」だけでは十分ではなく、情報を受け取る当事者の心理まで含めて設計する必要があることを示している。