NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で中川清秀が羽柴秀吉を裏切ったように描かれたことをめぐり、茨木市と竹田市が異議を表明し、NHK会長も「真摯に受け止めている」と述べた。では、史実の清秀は賤ヶ岳で何をしたのか。史料を確認すると、ドラマとは大きく異なる姿が見えてくる。史実と創作の兼ね合いをどう考えるべきなのだろうか?
問題は、ドラマに創作があること自体ではない。歴史ドラマに脚色は不可欠である。しかし、中川清秀が賤ヶ岳で秀吉を裏切ったという描写は、現在確認できる史料とは大きく異なる。天正11年(1583)4月20日、清秀は羽柴方として大岩山砦を守り、柴田方の佐久間盛政の急襲を受けて奮戦し、討死した。『大日本史料』も「清秀、奮戦シテ之ニ死ス」と根拠史料を挙げて整理している。賤ヶ岳で清秀が秀吉を裏切ったことを示す史料は確認できない。
もちろん清秀には、かつて荒木村重方から織田信長方へ転じた経歴がある。だが、それと賤ヶ岳での行動は別問題である。歴史上の人物を実在名で描く以上、人物像を根本から反転させる創作には慎重さが求められる。大河ドラマの影響力は大きい。とりわけ視聴者がドラマの描写を史実として受け止める可能性は小さくない。フィクションであっても、史実を土台にする姿勢は重要である。